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  • 2025年8月12日
  • 読了時間: 6分

8月9日(土)13:15~16:30 場所:港区生涯学習センター会議室

参加者(敬称略):村瀬、西川、横山、安藤、石崎、佐藤、豊田、倉地、飯田(記)

リモート参加:山崎、南保 欠席:金森 計11名 リアル・リモートハイブリッド会合


【総括】

・西川さんによる体験報告「空調機と私の歴史」は、報告用データを収めたUSBを家に置き忘れるというアクシデントがあって、10月11日(土)に延期することとなった。今回はを口頭でその予告をしてもらい、7月の世界遺産研修「みちのくの政治と歴史の旅」の振り返りをメインに実施した。

 まずは倉地さんによるDVDを鑑賞。安藤さんから会計報告を含めて各自感想を述べてもらった。

・最後に次回のリアさん家族との交流会の内容についてディスカッションした。


【詳細】

1. 7月の世界遺産研修「みちのくの政治と歴史の旅」振返り

(1)倉地さん制作のDVD「世界遺産 東北研修」の鑑賞

・倉地さんに制作いただいた「世界遺産 東北研修」のDVD鑑賞会を行った。

・メンバーから収集した写真も含めて約600枚。その中から108枚を選び編集。使用ソフトは「デジカメde!!ムービーシアター8」。昨年より慣れて編集は早くなり、動画も盛り込めたのこと(とはいえ、その労力ははた目にも半端なしで感謝)山崎さんにもDVD送付済み。お盆明けに到着見込み。

(2)安藤さんよる会計報告

・安藤さんより研修の会計報告を行った(出入金、各領収書データをまとめたエクセルにて)

・参加者9名より 30,000円/名を集金(合計270,000円)。支出計256,426円。残金 13,574円。

・各自で購入した航空チケットと初日のランチ代を含めた金額が今回の参加費となった。

・残金より一人当たり1,500円を安藤さんよりメンバーに返金。(山崎さんへは別途)

・余りは74円。(13,574円-1500円×9名=74円)これは会計残金へ加算。

(3)研修振返り

・豊田:水沢出身の偉人は素晴らしく優秀な土地柄と感じた。毛越寺は3回目だがガイドさんの話を聞きながら回ったので感銘を受けた。食事や温泉宿も大満足。

・佐藤:東北は青森しか行ったことがなく初めての場所だった。石崎さんの緻密な計画のおかげ楽しましていただき大変勉強になった。平泉や三偉人について初めて知ることができた。天文台でのタイミング良く動く望遠鏡もいい経験だった(帰りの空港のクラフトビールも沁みた)。

・横山:藤原の郷の経済効果が印象に残った。田舎の集客法としていいアイディアと思った。ガイドさんから、平泉はお金がなく復元など周辺含めた観光化が難しいという話を聞き、地方創生の課題を知った。また水沢に世界的な天文観測所があることに驚いた。

・山崎:詳細が練られたすばらしい計画で内容が充実していた。よく下見されていることも分かった。手配いただいた各地ガイドさんの説明も良かった。最初印象に残ったのが江刺のリアルな復元や、TVで見ていたロケ地。後藤新平は復興などの功績は知っていたが、改めて今時これほど色々なことをやっているスーパーマンはいないのではでと思った。最後訪問した正法寺のかやぶき屋根の現物のスケール感も凄かった。研修は毎年1回皆さんに直接会える機会でもあり楽しかった。

・飯田:たった2日であれだけ多くに回れたのは石崎さんの緻密な計画のおかげ。知らないところが多く、行く先々で勉強できた。会合録ではガイドの説明が聞き取りにくい問題があったが、各地の解説の掲示物が充実していて、その写真と途切れ途切れのメモをAIが補完してくれてなんとか作成できた。

・村瀬:極楽浄土とは死なないと行けないところ。法然曰く「南無阿弥陀仏」と言えば行けるといった浄土が現地でどう描かれているかという目で見させてもらった。仏教では浄土とは学習の場。この世は煩悩だらけだが、浄土で煩悩がなくなり、生まれ変わる前の勉強をすることができる。今回そんなことを思って庭園や建物を回った。水沢の偉人の記念館は、シニアになって拝見したことでより深く理解でき、勉強になった。

・西川:未参加だがDVDを、観て機会あれば参加できればと思う。明治維新の偉人や。かつて文化の中心だった東北藤原氏の力が弱まったことなど参考になった。

・南保:メール等の情報からも活動が進化していると思った。目的意識を持ち、密に計画し、結果へもきちんとフォローできている。今後は是非参加したい。

・石崎(企画担当者としての総括):天候に恵まれ、飛行機、新幹線や各人にトラブルなく予定通り実施できて良かった。今回は会社が岩手にある関係で計画できた。特に電波望遠鏡が一生に1回の経験で印象に残っている。江刺も意外に良かった。思い出も多く、また改めて振り返りたい。


2. 体験報告 西川さん 「空調機と私の歴史」の予告編

・今回の発表内容は「私の歴史」。内容は相当に詰めをしたものだが、また2か月でさらに詰めたい。

・何年か前に「空調理論と水蒸気」という1アワーセミナー資料を作ったが、皆さんからの社会生活をどう送ってきたかというリクエストや、南保さん、金森さんらの発表から刺激を受け、今回自分の歴史を作ってみた。振り返ると会社生活が一番のウエイトで、あとはなおさん会の活動。自分としては納得できる人生だった。飽きっぽい性格ながらよく同じ会社で頑張れた。

・会社生活の思い出として、関西支社へ家族帯同(子供は中学生、小学生)で転勤し、関西人の中に放り込まれた時の様々な経験も話したい。赴任先の南支店はコテコテの大阪の下町。天王寺や通天閣は行ったことなく、1回だけ家族を天王寺動物園へ連れて行ったが、途中の公園から帰ってしまった。今でこそ通天閣などはグルメが紹介されているが当時はとてもそんな雰囲気ではなかった。

・お客さんもクセの強い人が多く、同期からは南支店は大変と脅された。クレーム対応時、家族帯同で名古屋から堺に来たという話をしたらクレームが解消された、という面白い経験もした。

・実業はエアコンの保守点検をずっとやってきたこともあり、メインは空調理論の話としたい。話題の水蒸気を取り上げたら面白いのではと思い資料を作っている。リクエストとして温暖化の原因は水蒸気では?という質問もあり、それも追加し、渾身の作ができたが、忘れてきて残念。

・皆さんへの都市伝説宿題「冷房時、部屋の湿度は下がるか?」「暖房時、部屋の湿度は下がるか?」

・本番では、最近話題となっているフェーン現象(北陸などでの異常高温)の空調理論による説明、温暖化を否定しているトランプへの反論などを予定。


3. 9月のリアさん家族との交流会について(倉地さん)

倉地さんによれば、リアさんとしては、当日の話題についての意見を前もって知りたがっているとのことで、皆で検討した。

「前向きにSDGsを提案したい」、「ブラジルのサッカーが強いのはなぜ?アマゾンの面積減少や温暖化については?」、「スリランカが中国寄りなのはなぜ?インドとなぜ対立?他国と仲良くするには?」、「一般に暗い日本の男性は、明るいブラジルの女性にモテるのか?」、「バイト先ではスリランカ人の中古車バイヤー(羽島)と交流する機会が多いという状況にある」、「BRICSとの関係をどう見るか」「スリランカ瓜の栽培を話題にすれば喜ばれるのでは」などの意見があった。

倉地さんからリアさんにメールし調整してもらう。


4. その他

来年体制について、以前に確認した表より

会長=佐藤、副会長=村瀬、書記=豊田、会計=倉地 の案が提議された。


5. 9月以降会合について

・9月13日(土)13:15~16:30 港生涯学習センター ルワンさん・リアさん家族との交流会

・10月11日(土)13:15~16:30 港生涯学習センター 西川さんよる体験報告

※会場は安藤さんにて予約済み

           ※石崎さん欠席予定。Zoomはホスト代行を検討する。

・10月18日(土)技能五輪全国大会見学(常滑):有志による参加に変更。参加者は中部国際空港駅の改札前に13:00集合。昼食は各自済ましておく(村瀬さん、飯田は午前から会場にいる予定)

・12月13日(土)総会は昨年に続き、野間開催。会場は佐藤さんに検討いただく。

  • 2025年7月17日
  • 読了時間: 14分

7月11日(金)~12日(土) 場所:岩手県(平泉中尊寺他)

参加者(敬称略)計9名:石崎、村瀬、横山、安藤、山崎、佐藤、豊田、倉地、飯田(記)

 

【総括】

石崎さんに企画尽力いただき、世界遺産旅行研修として岩手県平泉の中尊寺などを訪れた。

2日間の行程は世界遺産 平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群の探訪と、明治から大正、昭和初期を生き抜いてきた東北人の記念館視察までも盛り込んだもので、石崎さん渾身一滴の企画。

もともと平泉は遠方すぎて研修地としては無理ではという意見が大半だったが、会として初めて飛行機を利用するなど、石崎さんならでは調査力による計画立案で実現することができた。

 

【詳細】

1日目

A班7名(石崎、村瀬、横山、安藤、佐藤、倉地、飯田)は早朝7時過ぎに名古屋空港に集合。ガイドさん用お土産(生なごやん)を急ぎ購入しFDAに搭乗。花巻空港到着後はレンタカー2台に分乗。ドライバーは石崎さん、横山さん。新花巻駅西口にてB班2名(山崎さん、豊田さん)をピックアップし、最初の目的地へ。(1日目は東北の歴史公園や偉人らの記念館視察)


①江刺藤原の郷

奥州市江刺岩谷堂にある歴史公園。奥州藤原氏の歴史と文化を体験できるテーマパーク。事前予約のガイド「鈴木亜由美さん」と入口で合流し、お急ぎコース「①政庁(北側)→②政庁(南側)→⑦伽藍御所→⑧町並み→⑨ロケ資料館」で案内いただいた。

・もとは32年前のNHK大河ドラマ「炎立つ(ほむらたつ)」の撮影の為に作られた大規模オープンセット。撮影終了後に歴史公園として整備された(市や国の補助も加え36億円)。総面積6万5千坪に大小約120棟の建物が再現。敷地は奥州藤原氏初代清衡が居住した豊田館跡地付近。

・政庁(北側)での弓矢体験や「源頼義の陸奥守着任」シーンを見学した後、昨年の大河ドラマ「光る君」のロケ地となった南側広場を見学(吉高由里子が踊るシーンの撮影場所)。本施設は現在も多くのドラマロケに使用されている。特にレンタル料は不要で、スタッフなどの入場料のみで良い。これは地元の観光PRの位置付けだからとのこと。

・所々にロケスポットの紹介がある(「フジTV逃走中・戦闘中」「麒麟がくる」「刀剣乱舞」など)

・三代秀衡の居館「伽藍御所」では、秀衡が建立した無量光院(平等院鳳凰堂を模した寺院)の再現や「義経の参陣シーン」などを見学。

・行程最後のロケ資料館では膨大な数のドラマ(NHKや民放、映画など)が紹介されていた。「麒麟がくる」のロケ映像も流されていた。

この後、併設の「レストラン清衡」にて昼食。観光地らしからぬ美味しいランチで、皆高評価だった。店の入口で大谷翔平のブロンズ製の手と握手することができた。


②後藤新平記念館

 学芸調査員 「中村淑子さん」が順を追ってその生涯と業績を説明してくれた。後藤新平の業績の多さには驚き。中村さんは地元出身ではなかったが後学ながらよく勉強されていた。

・後藤新平は奥州市水沢生まれ。父は仙台藩家臣だったが戊辰戦争で没落、農民となった。親族に罪人扱いとなり苦労した高野長英のこともあって、子には「政治に関わるな」と教育した。

・本人は腕白なガキ大将だったが、負けず嫌いで勉学に励み、県庁大参事 安場保和の屋敷で下働きをしつつ、安場の部下 阿川光裕の指導を受けて医学校に入学。卒業後は医師として名古屋市の愛知病院(現在の名古屋大学医学部附属病院)に勤務。その才能と努力により24歳で愛知病院長、医学校長となる。外見の若さから軽んじられることもあった。

・病院長時代に、岐阜で板垣退助が暴漢に襲われる事件があり(岐阜事件)、後藤新平が駆けつけて冷静かつ的確な処置を施した。この時に板垣が後藤の政治的才能を見出したと言われている。

・その後、内務省衛生局の仕事でドイツにて衛生制度、社会政策を学び、帰国後は衛生局長に。

・41歳で台湾総督府店局長となり新渡戸稲造とともに製糖業を盛んにした。49歳で南満州鉄道(株)の初代総裁に就き鉄道や港湾、都市などインフラ整備を進めた。2年後には逓信大臣(ポストを赤くして耐火の鉄製にした)、さらに内務外務大臣や鉄道院総裁を3度勤め、鉄道の広軌化や東京駅建設に尽力した。東京市長時代は東京の近代都市化の大事業計画(復旧ではなく復興)を立て「大風呂敷」とも言われた。(なお、岩手県出身の原敬は後藤を非現実的と見て意見が合わず、広軌化や東京駅計画に反対する等、度々衝突したようだ)

・関東大震災が起きた時は、引退した身ながら帝都復興院総裁として世界初の区画整理による都市計画を推し進めた(都市計画の父)。引退後はボーイスカウト活動を理解し、総裁にも任じた。

・71歳で没したが、常に将来を見通す先見の政治家として名を残した。非政治出身ながら数多くの成果を生み、その業績は今にも生きる。ガイドさん曰く「大谷翔平に影響を与えているかも」。

 

③斎藤實(まこと)記念館

ガイドはなく、職員さんが紹介ビデオを上映。記念館は斎藤が建てた旧宅・書庫が基となっている。

・奥州市水沢生まれの明治から昭和初期にかけて活躍した海軍大将、政治家。

・少年時代は後藤新平、山崎爲徳と並んで「水沢の三秀才」と言われた。上京後は働きながら勉学に励み海軍兵学尞に入学。同姓同名の水夫がいたため、幼名 富五郎から實に改名した。

・優秀な成績で卒業した後、アメリカへ4年間留学(西郷従道らと)。帰国後の報告書は高い評価を受けた。子爵令嬢の「仁礼春子」とは帰国後に結婚(35歳と20歳)。海軍次官に抜擢後は軍政家の道を歩み、日露戦争後は海軍大臣。同県出身の原敬内閣の時に朝鮮総督に任命され、現地では武力統治から文治統治へ施策転換し民生安定化に務めた。

・5.15事件以降の難局で内閣総理大臣を拝命、「自力更生」を掲げた。斎藤は大正デモクラシーや国際協調を大事とし、ファシズムや軍国主義への防波堤となっていたが、内大臣を拝命していた2.26事件の時に自宅で襲われ、命を落とした。春子夫人は額を撃たれた斎藤の前に手を広げて立ちはだかり兵士らに「撃つならこの私を撃ってください!」とさけんだらしい(夫人も撃たれ重傷を負った)非常に高貴な方であったようで、記念館でも夫人に関する展示が多く見られた。

・斎藤はあまり知られていない人物だが、時勢に捕らわれない反ファシズム、反軍国主義の姿勢や、年の離れた夫人との仲睦まじさなどがリスペクトされている一因かと思われる。

 

④高野長英記念館

 ガイドの予約はしていなかったが、職員の「及川さん」が臨時で案内してくださった。

・高野長英は奥州市水沢生まれ。江戸時代後期の医者・蘭学者。

・もとは水沢領主の家臣 後藤家の出身だが、9歳の時に実父を亡くし、蘭方医高野玄斎の養子となった。後藤新平とは遠縁にあたり、時代的には後藤新平の祖父の代の人物。(そのため幼少期の後藤は“謀反人の子”といじめられた。長英はそういう存在だった)

・江戸でオランダ医学、長崎でシーボルトから蘭学を学び、江戸にもどった後は塾を開き、医療、翻訳、蘭学を通じた学問に務めた。(その後に起きたシーボルト事件には危うく巻き込まれずに済む)多様な学者とも交流し、日本初の生理学書を著すなど相当な知識人であった。

・幕府がアメリカ商船モリソン号を打ち払うという事件が起き、著作「夢物語」の中でその政策を批判。批判した蘭学者への弾圧「蛮社の獄」により、長英は捕らえられ無期懲役となる。その後、牢屋敷の火災に乗じて脱獄。各地を支援者に守られながら放浪したが、隠れて医業を営んでいた江戸で捕縛され、非業の死を遂げる。(自害説、殴打による死亡など諸説あり)47歳。

・長らく謀反人扱いだったが、後にその先見性と批判精神を評され、明治31年に坂本龍馬、高杉晋作らとともに、正四位を贈られる。

・ペリー来航はその死の4年後であり、もう少し早ければ長英の人生も変わっていたかもしれない。

 

⑤奥州宇宙遊学館&電波望遠鏡&木村榮記念館

ガイドの予約はしていなかったが、こちらも職員の「及川さん」より簡単な説明をいただいた。

 (奥州市は「及川」姓が多いとのこと。たまに「老川」もいるそうだ)

ここでは運よく、実際に動く電波望遠鏡を見ることができ、一番の思い出となった。

・遊学館は国立天文台水沢VLBI観測所内にある、子どもや高齢者をはじめ一般の方々が遊びながら天文や宇宙について学べる科学館。1階は「月」「大地」、2階は「銀河」「星」「風」などの展示。

・本観測所のもとは1899年に作られた緯度観測所。地球の極位置が14か月ごとに動く「極運動」をくわしく調べるために世界の同緯度で観察することとなり、日本ではこの水沢に設置された。(世界6か所:アメリカ3か所、イタリア、ロシア、日本)観測所初代所長が「木村榮」。

・観測の結果得られたデータは非常に誤差が大きいもので、木村らは批判された。原因追及に苦慮したが、最終的に木村が誤差を修正する「Z項」を発見した。(これで木村は名をなすこととなる)

・なお、「Z項」の理論的な原因は長らく不明だったが、木村の死後30年後に、地球内部が固体ではなく、流体を含むことが原因であることが判明した。

・閉館までにあまり時間なく、石崎さんが是非見たいと言っていた「口径20mの電波望遠鏡」を駆け足で見に行った。たまたま職員さんがおられ、望遠鏡を実際に動かしてくれた。その姿は雄大なもので、間近で見られて非常にラッキーだった。(この望遠鏡は入来、石垣島、小笠原の3望遠鏡と共働し、VLBI(超長基線電波干渉法)という方法で日本列島規模の単一巨大電波望遠鏡として機能することができ、高精度な天体観測を実現している)

・最後に木村榮記念館を見学。氏の功績がわかりやすく紹介されていた

この日は「山王山温泉 瑞泉郷」に宿泊。急ぎ温泉で疲れを癒した後は、「前沢牛と海の幸」の夕食会場へ。乾杯の前、長話になりそうな従業員の方の前口上で暗雲が立ち込めたが、さすが豊田さん、上手に一蹴していただき、皆、料理と酒に辿りつくことができた。

 

2日目

旅館曰く「素材厳選の山の幸&海の幸に、岩手を代表するお米「ひとめぼれ」を頬張れば、今日も一日、元気満点」との朝食で全員エネルギーをチャージ。7時40分に集合し、本研修の目玉である平泉へ出発した。(2日目は世界遺産 平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群の探訪)


⑥世界遺産:毛越寺(もうつうじ)

 古都平泉の訪問地は、まずは世界遺産「毛越寺」。事前予約のガイド「菅原一さん」と合流し、藤原氏二代基衡から三代秀衡が力を注いだ浄土庭園を見学した。

・毛越寺庭園は「特別史跡」「特別名勝」の二重指定を受けている。二重指定は全国9か所のみ(他は後楽園、浜離宮、一乗谷、金閣寺、銀閣寺、醍醐寺三宝院、平城京左京三条二坊宮、厳島神社)

・毛越寺由来は白鹿伝説による。850年、慈覚大師がこの地で霧に覆われて進めなくなった時に、地面に落ちていた白鹿の毛をたどると白鹿がいた。白鹿が消えると白髪の老人が現れ、堂宇を建立せよと告げた。大師は薬師如来の化身と感じ嘉祥寺を建立、後の毛越寺となった。名称は 「毛(もう)+越(おつ)」がなまったもの。「もうおつじ」「もうつじ」「もうつうじ」と変化した。

・1689年芭蕉が当地を訪れ、義経を偲んであの有名な「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠んだ。その句碑が本堂前に設置されている。

・毛越寺の伽藍は消失して見ることはかなわないが、東大名誉教授藤島治郎氏監修の復元図でその姿を偲ぶことができる。本堂でお参りしたあとで案内された南大門跡(礎石12個が完存)からは、大泉が池の中に、かつて渡されていた橋の跡をかすかに見つけることができた。

・ガイドさん案内にて大泉が池を一周。築山(作庭記「枯山水の様」の実例)、アヤメ園(最盛期は6月後半)、開山堂(慈覚大師を祀る。在唐9年間の紀行「入唐求法巡礼行記」はマルコポーロ「東方見聞録」玄奘三蔵「西遊記」とともに三大旅行記と評価)、嘉祥寺跡(二代基衡から三代秀衡にて完成。左右に廊を有す)、講堂跡、緊道円隆寺跡(二代基衡が建立。「吾妻鏡」で「吾朝無双」称せられるほどの万宝を尽くされた。東西に廊を有す)、遣水(ここを舞台に毎年曲水の宴を開催)、常行堂(毎年住職らによる「延年の舞」を奉納。国指定重要無形民俗文化財)、鐘楼堂、常行堂、旧常行堂跡、そして最後に観自在王院跡(二代基衡の妻が建立)を遠目に見つつ見学を完了した。

 

⑦世界遺産:中尊寺&金色堂

 ガイドさんも同乗し「中尊寺」へ車移動。険しい表参道「月見坂」を避けて金色堂近くの駐車場へ。

・駐車場そばに繁っていた「中尊寺ハス」は、金色堂に納められた四代泰衡の首桶から発見されたハスの種子を、大賀博士と門弟長島時子先生が開花させたもの(発見:1950年 開花:1998年)

・さらに大池跡には「大池ハス」。2001年発掘調査で出土した三代秀衡時代のハスの種を長島時子先生が2005年に開花させた。文献によると大池には初代秀衡による毛越寺なみの伽藍があったらしい。

・徒歩で坂を登った先にある「讃衡蔵」にて中尊寺所蔵の国宝、重要文化財を見学。入口の200mを超える三体の仏像「薬師如来坐像2体と阿弥陀如来坐像」、金文字のみで宝塔を描いた「金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図」、一手のみ物を掴んでいない「千手観音菩薩立像」、初代清衡による金銀文字で経文を書写した「紺紙金銀字一切経」など。なおこの「一切経」は五千数百経あったが、現在中尊寺には十数巻が残るのみ。ほとんどが秀吉に持ち去られ、今は高野山で見ることができるという。また、千手観音が一手のみ物を掴んでいないのは、病人に手をかざして治癒するため。

・そしていよいよ「金色堂」へ。覆堂のおかげで風雨や何度かの火災から守られた創建遺構。昭和の大修理の時に創建当時の状態に復元され、今の鉄筋コンクリートの覆堂が設置された。国宝第1号。

・入口で外国語解説の終了をじりじりと待ち、ようやく覆堂の中へ入ることができた。その姿は昭和の大修理によってまぶしく輝いていており、感動ものであった。(お堂本体は保護ガラスに守られて通路から離れており、細かい細工を観察するのが難しかったのは残念)

・その後「中尊寺経蔵」「鎌倉幕府による旧覆堂」「大長寿院」「白山神社」「能舞台」「梵鐘」(材質が柔らかく鐘撞禁止だが、震災の大晦日の時に撞かれた)「峯薬師堂」「願成就院宝塔」(塔身部に梵字)などを見学し、最後に「中尊寺」本堂(明治42年に再建。中尊寺山内7ヶ院を包括する中心道場)を参拝した。壇の両脇には比叡山延暦寺より分灯された不滅の法灯が護持されていた。

・平泉は清衡が争いのない国づくりを願った祈りの都市。ガイドさんが最後に語った、「平泉のキーワードは『平和』」という言葉が印象的だった。

 

ガイドさんと別れ、「夢乃風」にて昼食。店員さんが強く進めてきた「夢御膳」「藤原三代お餅善」を食した。(この店とこの料理は、「るるぶ」「マップル」でしっかり紹介されている人気店で人気料理)食後はいよいよ最終日午後の部、まずは予定どおり平泉文化遺産センターへ向かった。

 

⑧平泉文化遺産センター 

 当センターは平泉の文化遺産の魅力をパネルや映像で紹介している施設。 ガイドなしで各自見学。奥州藤原氏を中心にその歴史や中尊寺、毛越寺などが図解や映像で紹介わかりやすくされていた。

 

⑨達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)

中尊寺エリアから西へ10分ほどに位置する国指定史蹟。坂上田村麿が創建。清水寺を模した建築様式や断崖に張り出す舞台造りが特徴的。各自見学。

・世界遺産ではないが、追加登録に向けての取り組みがなされている重要な資産。

・源義家が馬上より弓矢で彫ったという「顔面大仏」がある(見上げる崖の一角にある)

・「金堂」では、旧暦五月廿三日の【大将軍會(だいしょうぐんえ)】による「金堂内特別参拝」が行われており、聖観音様、十一面観音様、根本薬師様、試薬師様を拝むことができた。

 

⑩平泉世界遺産ガイダンスセンター

 予約しておいたガイド「佐藤さん」にて案内いただいた。

・北上川に面する「柳之御所史跡公園」の敷地内に設置された施設(令和3年11月20日築と新しい)。

※柳之御所史跡とは、藤原氏の政庁と居館である「平泉館」の跡地。頼朝に攻められた時に炎上消失している。世界遺産ではないが、拡張登録の取り組みを行っている

・当センターは世界遺産巡りをする前に、ワイドスクリーン映像や展示物で事前学習をし、合わせて柳之御所遺跡の出土物や再現から奥州藤原氏を理解してもらうことを目的としている。

・ワイド映像は平泉の空撮を中心にした迫力あるもの。ガイドの佐藤さんからは世界遺産や史跡の興味深い出土物、当時の生活の再現(食膳など)を説明いただいた。

・出土品「折敷」片には鳥獣人物戯画の類似したカエルが描かれており、早くに都の文化が伝わっていた証明とされている。なお、折敷とは食器や供物を乗せるお盆。その他、猫の足跡の付いた「かわらけ」(飼われていた?)や、紙の代わりにお尻を拭くための籌木(ちゅうぎ)などなど紹介。

・史跡公園には建造物は残っておらず、再現する予算があればと、ガイドの佐藤さんは残念がっていた。

 

⑪正法寺

 最後の研修地。平泉から30分ほど北東の山あいにある、「日本最大級の茅葺の大屋根」を有する法堂で有名な曹洞宗寺院。

・受付後の入り口には無料のドリンクとお菓子で休憩できるカフェスペースがあり、大型ディスプレイで正法寺を勉強できるようになっている。疲れた一行はここでひとしきり休憩し、法堂、開山堂などの見学を行った。

・境内は思いのほか広く、板張りの階段を昇ると、その先の法堂では僧侶らによる祈祷が行われていた。(永平寺の造りに似ているという印象だった)

 

以上で予定された行程は全て終了。JR水沢駅にてB班2名と別れ、残り7名は一般道で花巻空港へ移動、FDAで無事名古屋空港へ帰着することができた。幸いにして、この2日間のみ30℃を切る気温で過ごしやすく快適な旅だった。

最後までハンドルを握りながら我々を案内してくださった石崎さん、ありがとうございました。横山さんも2日間の運転ありがとうございました。所持金の管理と各種支払いに尽力いただいた安藤さん、ありがとうございました。そして全行程を完遂された皆さん、お疲れ様でした。

 

【スケジュール】

・次回 8月9日(土):定例ミーティング 港区生涯学習センターにて

            ※西川さん体験報告、世界遺産研修振返りなど

※今回の研修旅行は、倉地さんがメンバーが撮った写真をDVDとして編集。         以上

  • 2025年6月16日
  • 読了時間: 6分

6月14日(土)13:15~16:30 場所:港区生涯学習センター会議室

参加者(敬称略):村瀬、横山、安藤、石崎、佐藤、豊田、倉地、金森、飯田(記)

リモート参加:西川、山崎 欠席:南保 計11名 リアル・リモートハイブリッド会合


【総括】

・今回の会合のメインは、地元のテレビ局のディレクター兼放送記者 ゾーラさんをお招きしての異文化交流会。モンゴルの紹介と、日本とモンゴルを股にかけたパワフルな活動内容を紹介いただいた。

・その他、来月実施する世界遺産探訪研修計画(みちのくの政治と歴史の旅)の最終確認を行った。


【詳細】

1. モンゴル出身ゾーラさんによるモンゴル國紹介とドキュメンタリー視聴(担当:倉地さん)

(1)「モンゴルについて」

・40代のゾーラさんは、テレビ関連会社の報道記者。また、名大大学院ではジャーナリズムを研究中。

・初来日は2002年。好きな映像作品はアニメ「鬼滅の刃」。善と悪は必ずしも対比できるものではない物語が奥深いとのこと。好きな日本の食べ物は、母国にはなかった味「みたらし団子」。

・広さは日本の4倍だが。人口は330万人と名古屋より少し多い程度。遊牧民は3分の1。残りは街に住む。人口2分の1が首都ウランバートルに住むという片寄った状況で、車の渋滞は日常茶飯事。


・チンギスハーンの孫、フビライハンは元朝の5代皇帝。首都をモンゴルから北京へ移したが、約100年で滅亡した。現在は外モンゴルと中国内の内モンゴル自治区に分かれる。外モンゴルは清の支配下にあったが1921年独立した。

・モンゴルはロシアの影響下で社会主義が70年続いた。良い面としては医療制度や女性の社会進出が進んだ(現在も女性は強く社会で活躍。もともと遊牧民の伝統として男性が戦争に出ていったあとの生活を女性が支えたこともある。悪い面としては「宗教弾圧」。政治家や僧侶を中心に数万人が殺害された。

・1990年モンゴルもペレストロイカ等の影響で民主化し複数政党制と市場経済へ移行した。1992年に新憲法施行と「モンゴル国」へ改称し完全な民主主義国家へ。


・最近、首相が「贅沢」が原因で退陣した。ロシアのX(旧ツイッター)では「モンゴルでさえこれができたのに……」という論調が話題となった。

・モンゴルでは腐敗、格差、不平が社会問題としてある。民主主義移行時の制度変更、設計が不十分で過去からのコネなどで貧富の差が広がった。

・都市と田舎では生活がかなり異なる。ロシアと中国に挟まれているなか、「第3の隣国政策」(アメリカや日本など)を進めいくために都市では英語教育に力を入れている。


・遊牧民の服装はデールという民俗衣装で都市部と異なる。住まいは「ゲル」。組み立て式で3~4人で3時間程度で組む。ストーブは-40℃にもなる冬の暖房用と料理用。そのモンゴル料理はシンプルな塩味


・モンゴルの観光:草原や北部の山岳地帯のトナカイ、カザフト族のイヌワシ、砂漠のラクダなど。また、トランス-モンゴル鉄道は北京-ウランバートル-モスクワをつなぐ寝台列車の鉄道ルートで景色の変化が素晴らしい。子供時代のいい思い出だが、今はモスクワへは行けない。


・モンゴル相撲は生活の一部で学校では教えない。男子は皆子供時代からやっている。

・モンゴル人は助け合いが基本(厳しい自然で生きていくため)。表現はストレート。

・モンゴル人の挨拶「サインヤヴァーライ」は無事な行動を願っての「良い旅を」の意味。

・モンゴル人男性は家事や料理ができる人が多い(女性の社会進出や共働きによるもので、小さい時からやる)


・ゾーラさんは、モンゴル国立大学で日本を専攻。その後東京の女子大へ留学、愛知万博の際にモンゴル館で働くチャンスに恵まれ多くの友達ができた。また、そこで受けたTV取材の報道技術に感銘したという。

・日本愛が再燃したゾーラさんは帰国後再来日し、今のTV局の関連会社に就職し、報道記者の仕事やドキュメンタリー制作に励んでいる。

・2年半前からは名大大学院に入学し、論文「ソーシャルメディア時代のモンゴルの警察とメディアの関係」に取り組み中。


(2)ゾーラさんの制作作品ドキュメンタリー映画       国民と国家〜ある日戦争が始まったら〜」の視聴


・本作は日本テレビNNNの作品募集に応募したもの。2023年4月に放送された。

・ロシアにはスラブ人以外にアジア人、イスラム人、少数民族などが住む。その少数民族「ブリヤート人」の男性がウクライナ戦争への召集を逃れるため、モンゴルへ逃亡する姿を描いた。

 フルの1時間版ではウクライナでの召集問題も扱う予定だったが、放映は30分枠となったためブリヤート人部分が中心となった。


・ゾーラさんとしては、戦争を「国」対「国」ではなく「国」対「国民」の視点で描きたかったという。1時間版ではウクライナの現状も取材している。

・ドキュメンタリーでの取材は相手との信頼関係が重要だ。逃亡してきた人にどう信頼してもらって取材していくかが難しく辛い取材でもあった。

・「国家(のトップ)が国民に対し出兵を要することは間違っている」、「トップを決めるための選挙という仕組み」を無視してはいけないというのが、ゾーラさんの結論だった。


(3)質疑応答意見交換

・ソ連の衛星国はデモで平和裏に民主化が進み、ロシアとの関係を断った。一方でロシアと中国が接近。モンゴルは両国に挟まれており心配。ウクライナとモンゴルは他国とのバッファ国という立場が似ておりいかに立ち回っていくか。

・遊牧民の生活パターンと管理は?→遊牧民同士は互いに干渉しないよう固まらず、春はここ、夏はここというように4か所ぐらいを均等に移動する。単位は家族3人に羊300匹。自治体が住民票管理をしており、集落の学校で子供の教育が行われている。

・日本の給料が低いという件→昔は日本で働きモンゴルへ帰ると家を建てることができたが、今は違う。2000年初め頃、多くのモンゴル人がアメリカ、オーストラリア、韓国、日本に出国したが、日本の給料は上がらず他国との格差は広がった。ただ国は安定しており治安は良い。

・チンギス・ハーンを日本の歴史上人物に例えると?→織田信長かも。恐れられ尊敬されている。なお、「ハーン」は「部族の王」の意。チンギス・ハーンは「偉大な王」を意味する。

※最後にゾーラさんを囲んでの集合写真を撮影。


2. 7月の世界遺産研修「みちのくの政治と歴史の旅」について(石崎さん)

・変更事項はなし。各自搭乗手続きに必要な予約番号を控えるなどの準備のこと。


3. 8月以降の計画について(村瀬さん)

・8月9日:西川さん体験報告:「空調理論と水蒸気」と「会社生活の振返り」を予定。

・9月13日:豊田さんの方で「美濃の自然・アート」を進めていただく。「モネの池」見学も検討中。


4.次回予定

世界遺産研修「みちのくの政治と歴史の旅」実施時期:7月11日(金)~12日(土)

以上

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